黒埼まつりの歴史
「黒埼まつり」は、昭和58年(1983年)に、当時の黒埼町が町制施行10周年を迎えたことを記念し、町主導で行われたのが始まりです。
当時は町の中心商店街を歩行者天国にして、1500人あまりが参加する民謡流しや子ども向けの様々な屋台・縁日、やかた灯籠など延べ3日間にわたる大規模な、町民のお祭りとして賑わってきました。
過去のお祭り風景など
祭りのフィナーレを飾る花火大会は、平成3年(1991年)から行われています。
その他にも、大野商店街を通行止めにしてパフォーマンスの披露や各種露店の出店、やかた灯籠、地元アイドルなどのコンサートや、黒埼出身の里村明衣子さん率いるセンダイガールズプロレスの興行など、様々な催し物が行われてきました。
その後、旧黒埼町は新潟市と合併、さらに平成の大合併で新潟市が政令市となっていく中で、行政からの補助金は年々減少してきたため、黒埼地区の自治会から運営協賛金を集めるなどして、なんとか祭りを存続させてきました。
近年は、特に農村地域の少子高齢化が進んだこと、近郊への大型店出店による中心商店街の衰退など、複合的な要因により、祭りへの参加者はもちろんのこと、祭りを運営するスタッフ確保も厳しい状況となり、平成19年(2007年)には、やかた灯籠が廃止、祭りの目玉だった「民謡流し」は平成27年(2015年)の第31回から廃止となりました。
2022年再スタート
2020~2021年は、新型コロナ感染症の影響から祭りが中止となりました。
2022年、規模を縮小し1日間のみで、新潟ふるさと村を会場に祭りが再開されました。
イベント広場では、地元の伝統芸能などが披露されたステージイベントを実施。また「茶豆まつり」と題して、茶豆すくいやガラポン抽選などが行われました。
フィナーレは、信濃川河畔での花火大会。およそ150発の花火が祭りのフィナーレを彩りました。
2024年新たな“まつり実行委員会”発足
トップページのメッセージでもご案内したように、2023年の黒埼まつり終了後、2024年1月1日に能登半島地震が発生し、黒埼地区でも液状化による家屋や道路の損傷など、多くの被害を受けました。
その他様々な要因から、これ以上黒埼まつりを継続することは困難という結論となり、一旦黒埼まつり実行委員会は解散しました。
しかし、このまま40年続いてきたまつりがなくなるのは忍びないという声があがり、地元の有志によって、なんとかまつりを存続するための話し合いを行い、志しを同じくする仲間で、新たな実行委員会を立ち上げ、なんとかまつりを存続し、未来の子供たちへ引き継いでいこうと活動がスタートしました。